十代目候補は三人いたと言う。
人望の厚い長男。頭脳明晰な次男。我儘でやんちゃな三男。
その誰もが、個性は違えども光る何かを持っていて、その中の誰がボスに
なったとしても将来のボンゴレは安泰、と言われていたことを俺は、十代目の
座席についた時に知った。
けれども九代目の発病以降、突如として勃発した後継者争いによって有望な候補達は
次々に息絶えた。
彼らの家庭教師を同時に勤めていたというリボーンでさえ
骨も拾うことができなかったというから、その血縁の争いは凄惨なものだったに違いない。
「――だから俺が呼ばれたんだ?」
と、俺が話を遮ると彼は、空になったグラスを揺らして「ああ」と短く答えた。
マティーニを一本空にした彼は珍しく、饒舌だった。
彼はグラスをテーブルの上に置くと徐にソファーに、腰掛けていた俺の肩を押した。
とん、と小さく触れただけで傾く俺の視界は、彼と同じアルコールで既に正中軸を失っている。
揺れる視界を満たすのは、光の届かない灰色の天井と、光を通さない漆黒の
――ブラックホールのような瞳。
その焼け付くような眼差しの奥が実は、息も凍るくらい冷えていることを
俺は――ここに来る前から知っていた。
「それで――君は満足なの?」
焦らすようにシャツのボタンに手をかけた彼の手を見やると、俺は溶けた視線をわざと
そのままに――投げかけるように彼に聞いた。
真実を知りたい気持ちと、そんなことはもうどうでもいい気持ちが入り混じり
アルコールに満ちた喉もとに消えていく。
「・・どういう意味だ?」
珍しく、彼は酔っていた。だから、致命的なミスをたくさん犯した。
ネクタイにかけた人差し指は止まったし、高潮していた頬は直ぐに引いた。
何より――どんなことがあっても形一つ変えない彼の瞳孔が一瞬だけ大きく開いた。
動揺と、衝撃を受けた証だった。
「・・初めから俺を10代目にするつもりなんて、なかったじゃない」
吐き捨てた俺の言葉に彼が見せた眼差しの切なかったこと・・!
ああ、君はこんな表情も出来るんだ――と妙なところで感心しながら俺は言葉を続けた。
10年類推し、あまつさえ邪推した上での、俺なりの結論だった。
「・・君は俺に、復讐する為に・・ここに呼んだんでしょう?」
「――誰に吹き込まれた?あの灰色の馬鹿か?黒目の狐か?金髪の――」
まさか、と俺は遮った。こんなにも明確に焦燥と動揺と、悲哀を浮かべる彼が
いつも眉ひとつ動かさない冷静沈着な家庭教師と同一人物だとは、どうしても思えない。
そして困ったことに、本当に弱ったことに――俺はそのどちらも比べきれないくらい、好きだ。
「全部俺の推論だよ。半分は伝聞、半分は想像――でも、外れてなかったみたいだね」
君を出し抜けるなんて一生で一度かも、と俺が笑みを零すと彼は
そっと、シャツにかけていた手を、引いた。
彼が初めて日本に渡ったのは、10年前のあの日ではない。
それは部下達の話からぼんやりとだけれども想像していた。
彼が何のために日本に行ったのかを考えれば、あの来日が初回でない理由は明確だった。
彼は、「9代目の跡継ぎがいなくなった」から日本に飛んだのではない。
「9代目が俺を指名」したから訪日しただけで、後継者決定について彼の意見は
全くもって反映されていなかった。
ではなぜ――九代目は「俺の存在を知っていた」のか。
そして仲も良く将来を有望視されていた三人の兄弟が突如、血みどろの相続争いを
繰り広げることになったのか。
すべての謎を埋めるミッシングピースは――今彼の下で自嘲気味に笑う俺自身だった。
九代目は発病する前よりずっと、俺の存在を知っていたのだ。
日本に残した唯一の落とし胤――それを彼は彼なりに気にかけていたのではないか
と俺は思う。
それで9代目は、今目の前で一切の動きを止めている男にこう――依頼した。
「日本にいる血を分けた子供について調査して欲しい
――それが、将来ボスたる器に収まることができる人物かどうか」、と。
答えは簡単に想像できる――「NO」だった。
何をしても駄目で、人望もなく人より優れた点などひとつもない俺を彼は一目で「諦めた」。
そう彼は9代目に、報告したはずだった。
だが、この小さな来訪が思いもかけない悲劇を呼んだ。
彼が日本に飛んだこと、そしてその「理由」がどこからか洩れ、圧倒的な速さで飛散したのだ。
多少の飛語や阿諛追従を伴って。
噂というのは恐いものだ、9代目に隠し子がいる・・
――どうやらボスはその日本のガキに財産を譲るらしい
――いやそのガキに次のボンゴレを預けるつもりだ
・・「隠し子がいた」というたったひとつの真実が疑心暗鬼を生み
あらゆる悪い想像が脳裏を掻き立てた――やらなければ、やられるぞ、と。
俺が想像した交代劇の裏側はこうだった。
おそらく彼は俺を10代目に据えるつもりも、もう一度顔を合わせるつもりもなかったはずだ。
その彼を動かしたのは9代目の・・「血縁に跡を譲りたい」と言う遺言だった。
――ああ、黙っているってことは正解なんだね?
よどみなく答えた俺の、ボンゴレの歴史の裏側を、彼は瞬きひとつせず聞いていた。
部下の噂と伝え聞いた話だけで、ここまでストーリーを組み立てられるようになったのは
彼の教育の賜物なのかもしれなかった。
でも、こういうの・・「飼い犬に手を噛まれた」っていうんだっけ?
にこにこと笑みを浮かべ、押し黙った空気を見あげる俺の頸元に
――彼の小さな細い指が10本食い込んだのは、俺の夜語りの何秒後だったのだろう。
とにかくその動きは正確できちんと、俺の頸動脈を捕らえていた。
あと少し指先に力を込めるだけで俺はすみやかに彼の誘う黄泉に行ける
――それも悪くない、そう思ってそっと瞳を閉じたときだった。
素肌にはじけた小さな雫の違和感に、俺は眼を開けた。
取り戻した光の下で、漆黒の瞳が二つ、濡れている。
彼は何を、躊躇しているのだろう。
彼は最初から俺が、憎かったはずだ。
ボンゴレの汚点でありながら、その未来さえ潰した俺の存在を
彼はずっと恨んでいたはずだった。
俺がいなければ、悲惨なお家騒動はおきなかったはずだし
君だってこんな出来損ないのボス候補の面倒をみるという
やっかいな仕事を引き受けることにはならなかった。
「俺が嫌いなら、殺せばいいよ。君の好きにすればいい」
すべて君から始まった。
だから、終わらせることができるのも君だけなんだ。
俺の存在はこれまでもこれからも、ボンゴレにとって禍根にしかならないだろう。
この利点のない芽を摘むことが出来るのは君だけなんだ。
だって俺は、彼に逆らって生きていくことなんて出来ないから。
セックスも、キスも生きるための術はすべて、彼から学んだ。
生徒は先生を追い越せない。何年経っても。
それが唯一彼のそばにいる方法だと、俺は本能的に知っていた。
「――どこで感づいた?」
湧き上がるような低い声が、僅かに湿っている。
指先にはまだ俺の祈るような熱くて正確な、力が入らない。
あぁまだ君は、そんなところに巻き戻るの?
俺は何時になったら君の腕の中で死ねるの?
初めて俺を抱いたとき、言ったじゃない。
おれの中に本音も欲望も全部、吐き出したじゃない。
――お前さえ、生まれてこなければ、って。