[ チャーシューは大目にお願いします ]




「じゃ。俺味噌で。ツナは醤油な」


 あいよーというおじさんの威勢のいい掛け声と
沸き立つ湯気の熱気に、当てられるように汗を掻く。
 台車を改造した小さなラーメン屋の、板を張った
カウンターにいる客は俺と、山本だけ。
並んで丸椅子に腰掛け、黄色い麺が茹で上がる
様子を見ながら、俺はこっそり右隣の彼の表情を見た。


きっかけは、彼の台詞――「腹すかねーか?ツナ」だったんだ。


 いつもなら、コンビニや彼の家に寄るところを
今日はたまたまこの小さな屋台が彼の眼に留まったのだ。
 遠慮気味の俺の手を引き、彼はずいずいと赤い暖簾を
くぐって、ねじり鉢巻をしたおじさんに声をかけた。


――俺が醤油ラーメン好きって、何処で知ったんだろ・・


 疑問はもう一つあった。引きずられるように
腰掛けてから幾分経過したのかは分からないが、
彼の手はしっかりと俺の手を、握ったままなのだ。
 離すタイミングを忘れた、といえばいいのだろうか。
別の熱気で汗を掻く手のひらが、なんだかもどかしくて
繋いでいたいのか、離してしまいたいのか分からなくなる。


 山本の手だって、汗を掻いていると思うんだ。


 それは全然嫌じゃない・・でも、右手を繋いでいると
ラーメンが、食べられないんだ。


「――大変だよね、夫婦でお店切り盛りするのって」


 こうこうと湯気が沸き立つ鍋の後ろでは、おかみさんらしき
人が懸命にチャーシューを切っていた。包丁が、まな板を駆け抜ける
軽快な音が、蝉の音に混じって二人きりの小さな店内に響いている。


 この沈黙と、繋いだままの手をうまく振り切りたくてかけた言葉に
彼は、同調するように笑って、自由な右手で頬杖をついた。


「あぁでも・・大丈夫。寿司屋の奥さんは、愛嬌があれば
いいからさ」
「・・・」


 いっちょあがりーという威勢のいい言葉に、ふっと我に帰るまで。
俺は、なぞかけのような彼の台詞を何度も反芻した。


 俺を握り締めて離さないのは、俺よりもひとまわり大きい彼の
左手と、日に焼けた肌に浮かんだ彼の、はにかんだ微笑だった。