[ 退屈な、贅沢 ]




空になったグラスの氷を、音を立てて揺らすと
ふぅ、とツナはため息をついた。


辺りを見渡せば、黒いスーツを身にまとった堅気ではない男達の群れ。
彼らの取引の材料は人命と武器、麻薬。
必要とあらば国をも動かせる闇の組織――イタリアマフィアのボス達が
今一同に介しているというだけでも、十分壮絶な光景だった。
 彼らは一見すると物腰柔らかだが、スーツの下には皆黒い鋼と
屈強なポリシーを纏っていた。誇りを失うなら、相手もろとも黄泉への
道を選ぶような連中だった。


 そんな中、薄茶色のスーツにそろいの靴を合わせた随分小柄な
ボンゴレの頭領だけは、
――早く終わんないかなぁ・・
 と、辺りの血なまぐさい会話の内容も知らずのん気なことを
考えていた。


 これだから嫌なんだけどな、マフィア会議って。


 護衛についてきたリボーンはさっきからどこに行ったのか
分からない。通訳についてきた獄寺は三か国語を駆使して
懇談に熱中している。


   いつだって自分は、適当に挨拶して握手をしたら
お払い箱だ。
――ボスは、黙って構えるもんだぞ。
――十代目の手を、煩わせたりはしませんからね。

 最強の護衛と、優秀な秘書の言葉を反芻しながら
ツナはこころの中で舌を出した。


 結局俺は・・邪魔、だって。


 自分がいても何にもならないことや、それが
かえって彼らの仕事に支障をきたすこと、は
ツナも十分承知していた、が
 話す相手のいないパーティーで
飲めないお酒を持って、延々とひとり豪華な料理を
立食し続けるのは、拷問に近い贅沢だった。


 テラスに行こうにも、歓談する勇気は無く
もちろん早く退席することなど許されず・・
ただただ時計の針がいつもより早く進むよう
ツナが神に祈ったそのときだった。


「シャンパンはいかがですか?」


 天井から降ってきたような言葉にツナが振り返ると
眼を前に・・紫と藍が混じった深い蒼のグラスが
シャンデリアの鈍い光を反射して輝いていた。
 見事な二等辺三角形を描いた硝子の中に、
大きな葡萄がひとつ宝物のように転がっている。

 なかなか気のきいたサービスだな、と
ツナが手をグラスに伸ばしたその時だった。
 ウエイターは伸ばしたツナの手首を右手で
握ると、自ら盆を引いて彼を引き寄せた。
 まるで罠にかかった獲物を捕獲する蜘蛛の
ように。

 ウエイターに引き寄せられるように上体を傾けた
ツナは、その時初めて自分を捕まえた男と眼が合い声を
上げそうになった。
「ラン・・・」
 何かいいかけたツナの口を右手で覆うと、
ウエイターはグラスを机に置き左手で
「静かに」と、口元を微笑ませた。







「な・・!ランボ。何してるんだよ、こんなところで」

 無理やり連れ込まれた従業員用の休憩室で、やっと
口の戒めを解かれたツナは開口一番こう言った。
 彼は、変装用に身につけていた茶色のヘアピースと、黒い
縁の眼鏡を外すと、そのままツナを抱き寄せてキスをした。


 今まで口にした、どんなワインよりも甘いキスだった。


「んん・・っ、ふ・・何すっ・・」
 何度も重ね合わせた唇が離されると、ツナはランボの腕の
中で抗議の声を上げた。
 茶色の大きな瞳で睨みつけられても、ランボは
満足そうに微笑むばかりだった。



「退屈だったのでしょう?」



 紫紺色の瞳に見透かされて、ツナは一瞬両目を
大きく見開いた。本心を悟られてはいけないボスの
反応としては軽率なものだったが・・旧知の中である
男の微笑みがツナのこころに僅かな隙を作ったのは
確かだった。


眼を見張るような豪華な料理。
舌も蕩けるような美酒。
闇の中で見る一攫千金の夢。


何もかも飽き飽きしていた。
手を伸ばせば届くものなど欲しくはない。


 欲しいのは――甘い享楽と許されない恋。
この身を焦がすもの。



「俺はいつだって貴方を見てますよ。だから
貴方の一番欲しいものを知っています」



 だから逆らえない。黒い髪と、甘い声と、
融けるような熱を持つこの男には。




「退屈な贅沢なんて、俺が全部・・崩して差し上げましょう」



 二度目のキスは、熟れた葡萄より甘酸っぱく
熟したワインよりも、深い蜜だった。