野良猫




雨は霧を濃くしたように冷たかった。
朽ちた煉瓦塀に飛び散った血しぶきをまるで
他人事のように眺める。円を描くように広がる
深紅の染みは、先程止めを刺した男のものだった。

その男は元部下だった。上層部とのコネは無かったが
地道な働きを積み上げ幹部候補に昇格した有望株だった。
郷里に妻と娘がいるが縁を切ってこの世界に入ってきたと聞いた。
山本は弟分のように可愛がっていたし獄寺君も彼には眼を掛けていた。
いずれ共にボンゴレを負って立つ男だと信じて。

 数分前、「助けてくれ」と男は命乞いをした。
かつて自信と希望に満ちていた顔には泥と血痕がこびりつき、
暮れ時から降り出した雨が容赦なく男の頬を叩きつけている。
――死にたくないんだ。

 次の瞬間俺は彼の額の真ん中を正確に打ち抜いていた。

 トリガーを元に戻しリボーンの乗る車に戻る。
ずぶ濡れになった俺を見て彼は「随分遅かったな」と言った。
どこで用意していたのか白いタオルがふわりと俺の頭にかかった。

「待った?」と尋ねると首を振る。彼も俺と同じ仕事をこなしていた。
無論数は倍以上だったが。それでも彼はその端正な横顔に
何の憐憫も残さない。死者を鎮めることも、思い残すこともしない。
淡々と銃声を鳴らし、遺体の数を数え、迎えに来た車に戻る。
後部座席に座る頃には殺した人間の名前さえ忘れている。
彼が記憶するのは標的の顔だけだ。

「十年前に比べば・・早くなったさ」

 いつと比べているの、と俺はわらった。
わらって頬を上げたら反射的に涙が出てきた。
見られたくなくて顔をタオルで隠す。リムジンは無音で出発する。

 ボスの様にはなれない、と男は言った。涙と血を吐きながら。
言い訳を聞く暇は無かった。裏切りを許すことも。
俺自らが銃を握った時点で彼の処刑は揺ぎ無いものになっていた。
血まみれにされるなら俺が、死への引導を渡したかった。

 リボーンが俺を呼ぶ。その声は遠くて、俺は返事をすることが出来ない。
俺は首を振った。泣いているのは事故みたいなものだ。
凍りついた心臓は後悔も悲痛も感じなくなっていた。
日本に置き去りにされた感情がゆっくりと波打つだけだ。

人は死んだらどこへ行くのだろうか。
あの男の望みは、どこでなら叶ったのだろうか。
出会った場所が薄汚れた路地裏ではなく、
太陽と碧海と緑彩に溢れた楽園であったなら。

「奴を拾ったのも・・こんな雨の夜だったな」

 ずぶぬれの作業着と、片言のイタリア語。
野良猫のようにリムジンの前に飛び出してきた男は、
俺を見るなりすがるように表情を歪めた。

何も持たないところが俺によく似た、黒い目の男だった。