『 楽園の傷 』
サンタルチア港は今日も沢山の商船と、
観光客で賑わっていた。
護衛が運転するタクシーからそろりと降りたツナは
人目につくのを避けながら、港の向かいのホテルの
従業員用出入り口に向かった。
ツナが小さな灰色のドアをノックすると、それは
音もなく開き、中から屈強のホテルマンが数人現れ
ツナを囲んだ。
「お連れ様は、あと十分ほどで到着されます」
ありがとう、と言いツナはルームキーを受け取る。
「少しお腹が空いたから・・何か持ってきてくれない?」
「かしこまりました」
彼の分もね、と付け加えると、最上階に向かう
エレベーターのドアが静かに開き、ツナの小さな
身体は大理石の奥に消えた。
ルームサービスで届いたマルゲリータは
トマトソースの酸味と、モッツァレラチーズの絡みが絶品だった。
肉厚のもちもちとした生地をほうばりながら
ツナは窓の外に広がるパノラマに驚嘆の声をもらす。
眼下に広がる碧く澄んだ海や、雲ひとつない深い群青の空
はるか遠くに望む勇壮なヴェスヴィオス火山――それらはすべて
ナポリを見てから死ね、と呼ばれる所以だった。
この世に楽園を映し出すとしたら・・
きっと空はこんな色をしているに違いない
――そうツナは思った。
「ツナを、この世の楽園に――招待するよ」
そう言って微笑んだ彼の言葉も、まんざら誇張では
なかった。もちろん、ツナにとっては彼と居られる場所は
何処でも楽園だったが。
「遅くなってごめんな、ツナ」
「ディーノさん!」
声とともにドアが開くと、ツナは恋人の名を呼び
その胸に飛び込んだ。
彼からはいつも、海と太陽が混ざったような
甘酸っぱい匂いがした。
「悪いな、会議が長引いて」
「俺も・・着いたばっかりです」
ディーノの広い背中を抱きしめながら、ツナは苦笑した。
自分がここにくることを好まないのは・・自分の護衛でもある最強の
ヒットマンと、やたら過保護なのがたまに傷の万能秘書だった。
さっき部屋を出るときも、前者の男と押し問答をした
ばかりだった。
『またあいつに会いに行くのか。お前も暇だな』
もっと他にすることはたくさんあるだろう、と
軽蔑を含んだ冷えた眼で言われ、思わずツナは
声を荒げた。
『俺が何をしようと誰と過ごそうと、リボーンには
関係ない』
いつまでも教師のいうことを従順に聞く生徒でいる
つもりではなかった。ボスとして、自らの意思で考え
行動しなければならないことはたくさんあったのだ。
『俺に飽きたら今度は跳ね馬か。お前も相当好き者だな』
心臓を貫くようなリボーンの言葉に、思わずツナは
持っていたスーツケースを彼に投げつけた。
それは彼の右肩をかすめ、机の上の調度品で
ある硝子のランプを粉々に破壊した。
細かい破片が飛び散ったが、彼は眉ひとつ動かさなかった。
ツナは何も言わず、重厚な私室のドアを思い切り閉めた。
ドアノブから手を離したとき、なぜか泣きそうになった。
ツナとリボーンは、イタリアに来た折から恋人同士だった。
ただリボーンの多忙さに、当初からイタリア暮らしに不安を
抱いていたツナの心は激しく揺れ動いた。もっとそばにいて欲しいと
いう気持ちと、彼の役職を考えればそれは叶わぬ願いである悲哀が
ツナの脳裏を何度も交錯した。
そんなとき、親身になってツナの相談にのり
彼を支えたのは兄弟子でもあるディーノだった。
最初は電話で愚痴を聞くだけだったのが、ランチやディナーを
介しての相談に変わり・・
先月のリボーンの長期任務の折、ついにツナは彼と寝た。
以前から、ディーノがツナに親愛だけではない情を抱いていることは
明確だったし、ツナもそれに気づいてはいた。
リボーンが出立する前、ツナと彼は今までで最悪とも言える喧嘩を
した。
『もういいよ。リボーンなんか知らない。大っ嫌い!!』
ありったけの罵詈雑言と、涙を吐いてツナは自室を後に
した。それからディーノの泊まっていたホテルに行き、彼の
胸でさんざん泣いた。彼はずっとツナの髪を優しく撫で、ツナが
眠りにつくまでベッドに腰掛けてその手を握っていた。
その夜ツナは、自室に戻らなかった。無断外泊は厳重に
禁止されていたにも関わらず、だ。
ツナはディーノの腕の中で一夜を過ごした。温かくて優しい彼の
腕の中にいれば何もかも忘れられる気がした。
「・・ツナ?」
抱きしめたまま動かないツナの耳元で、ディーノは
どうかしたのか、と尋ねた。
「別に・・なんでもないです」
ディーノに髪を撫でられ、ツナは顔を上げると
頬を上げて笑った。つくりものの笑顔だった。
ディーノは一瞬だけ眼の色を変えたが、それを
直ぐに隠すとツナに、舌を入れてキスをした。
何度も、何度も口腔を交わらせてからツナを
優しくベッドに横たえる。
せっかく手に入れた天使を手放してしまうくらいなら
ずっと嘘をついて彼を、このかりそめの楽園に
閉じ込めておきたかった。