手錠のこすれる音を聞いた。
足枷は食い込んだままだ。
悪魔が来るのを待つしかない。
救世主
がちゃがちゃと鍵を開ける音がして眼を
開ける。何日ぶりの光だろう。ドアが開いた。
「おはよう、ツナちゃん」
男は微笑み、白い歯を見せ、錠を下ろした。
この部屋は内側からでも鍵がかかる。
「何日ぶりだっけ?三日ぶり?それくらいじゃ
死なないね。ほら、点滴」
俺が死なないのは彼が定期的に点滴を施すからだ。
勿論、食料を与えられることもある。しかし自由は無い。
十畳程度の空間にベッドとトイレ、シャワーはあるが
時折しか使えない。白蘭はTシャツとジーンズを差し入れた。
「ほら、着替え。持ってきてあげたよ」
ツナちゃんの好きなブランド、これだったよね。
Tシャツを広げて微笑む。俺は答えなかった。
「ツナちゃんは反抗期かぁ」
言わないのでは無い、言えないのだ。白蘭は勿体ぶった
ように言って、さるぐつわを解いた。
「あはは、ごめんごめん。忘れてたよ。縛ってたら何も
言えないよね。・・・気分はどう?ツナちゃん」
俺は首を振った。最悪だ。白蘭は俺を見下ろすと
つま先で、俺の顎を支えた。自分を見上げさせるためだ。
「ツナちゃんのそういう、反抗的なところが好きだよ」
俺は首を振った。話を聞くことも、答えることも、同じ
空気を吸うことすら、嫌だった。
未来での白蘭との激戦に勝ち、俺たちは過去に戻った。
平和な過去。しかし安堵した俺たちを待っていたのは
――過去の白蘭と、その部下達だった。
アルコバレーノの力で、白蘭とマーレリングは永久に
封印されたはずだった。どの過去、どの未来においてもだ。
その力に例外はないはずだった。唯一赤ん坊たちが見逃したのは
――知らなかったのは、すでに白蘭が事態を想定し、「封じ込め」対策
を講じていた、ということだった。未来の白蘭は過去の自分に
指令を残していたのだ。つまり――アルコバレーノが封じたのは
白蘭が事前に用意しておいたダミー、偽者だったということに
なる。過去に戻ってそうそう、俺たちは捕まった。そして
――俺以外が釈放された。
「ツナちゃん以外、興味ないから」
食い止めようとした守護者達は、白蘭の圧倒的な力に
封じられ、俺は自ら人質を名乗り出た。死者を出さないために。
「大丈夫だよ、ツナちゃん。僕はもう、パラレルワールドも
超時空の神も興味なんてない。ユニちゃんとも和解した。
君の――大切な仲間にも手は出さない。この世界も壊さない。
約束するよ、未来まで」
熱しやすく、冷めやすい。白蘭の極端な正確は俺には
好都合だった。自分さえ彼のものになれば――全てが助かる。
彼の言葉を信じ、囚われの身になった。
「自己犠牲か。素晴らしいねツナちゃん。惚れ直したよ。
だから、口をきいて・・・ね。君の、素敵な声を聞かせてよ」
白蘭の手が俺の頬に触れ、首をなぞり、肩を撫で、肋骨を
数える。骨盤をつつみ、膝を揃え、足首を曲げ、腰を浮かせた。
俺は彼の望みだけは叶えない。どれだけ希われても。どれだけ
痛くされても。
「ね・・・だから口をきいてよ。ツナちゃん。とっても
寂しいんだよ」
悪魔の指先が唇を撫でる。開いた隙間から指が侵入する。
舌の上、歯ぐきの裏、歯列の外。口腔をなぞり、犯す。指だけ
が俺の舌の柔らかさをしっている。
「ツナちゃんの唾液で、べとべとだね」
白蘭は満足そうに言い、指を引き抜くと、それを自分の舌で
拭った。
「また来るよ、ツナちゃん」
真新しい白いガーゼが口に含まれ、晒しが巻かれた。さるぐつわを
施すと、白蘭は立ち上がり、錠を解いた。ドアを開けるためだ。唯一
外の空気を吸うことが出来る瞬間。
ドアは音を立てて閉まる。部屋に静寂が訪れる。俺は点滴を引き抜くと
血を止め、手錠を外した。足枷はそのままに服を着替える。白蘭は俺が
新しい服に着替えても気づかない。
ベッドを動かし、その下の床板をずらす。打ちっぱなしのコンクリートの
壁の下は土だった。部屋の隅には一メートル弱の穴が開いていた。彼のいない
間を見計らって、俺が掘ったのだ。もう少しで地上に出られるはずだった。
俺は必死で穴を掘った。逃げよう、ここから逃げて、それから・・・
「――何してるの?」
思いもかけない言葉に俺の右手は止まった。俺の後ろに立っていたのは
白蘭だった。
「・・・」
「どうしたの?あ、びっくりした?僕が気づいていないとでも
思ったんだ。可愛いね、ツナちゃん。そういう君の浅はかなこと
ろ、好きだよ」
白蘭は俺の土まみれの手を引いた。逃げ出そうとしていたことを
怒ってはいない。むしろ、俺の焦燥を楽しんでいる。
「そんなに外に出たいなら、すぐ出してあげたのに。ほら、出口は
こっちだよ、ツナちゃん」
掴んだ俺の右手を引っ張り、引きずられるようにして外に出た。
数ヶ月ぶりの、「下界」だった。
「ほら、何も変わっていないでしょ? 約束どおり手出しは
してないよ。これからもしない。それもこれも全て、君のおかげ
だよ。君が、世界を救ったんだよ、ツナちゃん」
頬を伝うのが、涙だと気づいた。
部屋の外は、見渡す限り草原が広がっていた。その先に海が
見える。広い大地、悠久の海原。傍に立つのがこの男では無いなら、どれだけ美しい
世界だろう。どれだけ、この世界に生まれたことに感謝しただろう。
「君が僕のそばにいる限り、君はこの世界の救世主だよ。
素晴らしいと思わない?ねぇ、ツナちゃん」
白蘭は言い、振り返って微笑んだ。俺は首を振り、膝を付いた。震えて、立っている
ことが出来なかった。意識が深い闇の淵に落ちていく。夢の奥で、悪魔が誘惑を
囀る。
ツナちゃん、聞こえる?
眠っちゃ駄目だよ。
この世界をよぉく、網膜に焼き付けておいて。
君が、この世界を救うんだ――・・・・