それが君にできるのならば。




[ 本望 ]





人を殺すことに抵抗がなくなってしまったのは
二十歳の時だ。助けてくれ、という声を聞くのも
飽きて引き金を引いた。流れ出る血の色にも怯えなく
なった。上出来だと彼は笑った。褒められているのか
けなされているのか分からなかった。


 繰り返しは怠惰を生む。同盟、隷属、造反、報復。
その連鎖だけが日常。陳腐だと思った。どうして裏切られる
と知りながら手を取るのか。最後は殲滅だと知りながら繁栄を
願うのか。誰もがその、血塗られた頂点に立ちたがる。マフィア
の王。支配されたくない者を、従属させたがる。


「・・・不毛だなぁ」


 中小マフィアとの誓約書にサインをしながら呟く。これで何千ユーロ
動くんだろう?麻薬と、弾薬と娼婦もセットかな?金と武器と女。マフィア
はそれに見栄と歴史を掛け算して互いを評価する。新参者ほど、末席に座る。


「俺じゃなくても出来る仕事だと思うのだけど」


 兎角、血縁であることが重要視されるのは歴史を重んじるからだ。ザンザスが
ボスになれなかったのは直系の子孫では無かったから。才能よりも出生。マフィアの
血筋に生まれたものには、マフィアしか残されていない。お家騒動を勝ち抜かなければ
生き残れない。その割りに皆、子供には甘いのだ。だから、温室育ちの甘ちゃんボスばかり
が目立つ。俺もその内の一人だ。


「ぶつくさ言わずにサインしろ」


 俺の仕事振りを見ていたボディガードが、呆れた声を出した。日本で出会って
十年来の付き合い。お互いの価値観も、酔った時の暴れ方も、寝相さえも知っている。
喧嘩も数多くしたけれど最後には俺が折れた。刃向かえば死が待つだけ、とイタリア
の日々が教えてくれた。この国は陽気で美しい。けれど路地一つ入った闇は暗い。
違法カジノに麻薬密売人。人身売買まで。全ての犯罪はマフィアが取り仕切って
いて、警察も手出しが出来ない。この国の経済を操作するのは間違いなくマフィアだ。


「ねぇ、リボーン」
「なんだ――死にたくなったか?」


 人を、自殺志願者みたいに言わないでよ。


 ペンを置いて窓の外を眺める。強化ガラスの向こうの青空。飛び出せば
硝煙弾雨が待っている。こんなに綺麗で、澄んでいるのに。イタリアの海
の冷たささえ知らずに、ミラノの湿った空気を吸っている。


「俺は・・・これからどうなるの?」
「てめぇは、どうしたいんだ」


 望めば何だって手に入るんだ。大切なのは何を望むかじゃないのか?


 怜悧で優秀な男の黒い眼が俺の、願い事を待っている。違うよ、リボーン。
叶えたいんじゃないんだ。何もかも叶う、と分かってしまった瞬間、何も望まなく
なってしまうんだ。希望も熱情も萎んでしまう。この青い空と、白い雲、灼熱の
太陽に溶かされながら、夢を見ているような感覚。何も望まなくなったら人は、
生きていけない。


 ボンゴレだって表には出ていないが、構成員の自殺は悩みの種だ。軍隊だって
同じ。規律と従属、富と名誉。失敗さえしなければ駆け上がれるのに何故か、おかし
な方向に身を投じてしまう。


「・・どうしたいか、ね」
 それが分からないから困っているのに、リボーンは俺の肩をぽんぽんと
叩いただけで執務室を後にした。愚痴を聞かされるのが分かっている。賢明な
判断だ。


 ねぇリボーン。
 俺が、死にたいと言ったら君は、俺を殺してくれる?


 それとも全力で横っ面を叩いてたしなめる?


 どっちでもいいや、君が生涯で一度でも、ボンゴレでも マフィアでも、自分のことでもなくて、「俺」のことを 真剣に考えてくれる瞬間がその時なら。


 君の持つ鈍色の銃に貫かれても本望だから。


 窓の向こうに広がる紺碧の海が、その深奥から手を 伸ばして俺を、呼ぶような気がした。