光は闇を求めるように出来ている。
そう誰かが言っていた。以前に読んだ本の中かもしれない。
どこかの詩人の言葉だったのかもしれない。いずれにせよそれは、
至極哲学的な、物理学的な問いで、俺はその意味を考える頭脳も
無かったし余裕も無かった。相手を殺さなければ自分が死ぬ、
そんな世界でずっと生きてきたからだ。
 その意味をふと、感じるようになったのは己の手をまじまじと
見詰めるようになってからだ。ボスに触れる己の手が、血まみれ
であると気づいたその時。その深い赤に恐れ戦いた俺は、瞬時に
手を引き後ろに隠した。それ以来彼には触れていない。


 どんなに愛しいと願っても。









La luce puo chiedere l'oscurita. (光は闇を求めるように出来ている)









最初に口にしたのは獄寺君だった。

「最近・・リボーンさん帰り遅いっスね」
「愛人のところに時化込んでるんじゃないの?」
「あの方に限ってそんなことは・・」

 俺の「ふうん」という視線に彼はもごもごと口を動かし
「いや・・それは・・」「確証はありませんが・・」と
歯切れの悪い言葉を並べる。ボンゴレ専属のヒットマンの所在を、
彼さえも明確に把握していないらしい。

「別に・・君を責めているわけじゃないよ」

 組んだ足を外し、窓に視線を向ける。外は雨。
罪も、路上に流れた血も洗い流す真っ黒な空。

「しかし十代目は・・」

 怒ってらっしゃる、リボーンさんの行方を気にしてらっしゃる、と
獄寺君は苦しそうに言った。俺のそばにいるときいつも笑っている彼が、
こんな表情をするのはリボーンの話をする時だけ。獄寺君は気づいている。
リボーンさえ、見抜けないものを。

「怒ってないよ」

 本当は、半分嘘だ。朝まで帰らないこと、行き先を告げないこと、
何をしているのか明かさないこと。全部規律違反だ。
部下なら射殺されている。マフィアとは、そういう世界だ。生温くはない。

「心配なだけ」

それは本当だ。彼は確かに、ボンゴレに属し、十代目を教育した
男として功労賞を得ている。無鉄砲な振る舞いが許されているのは特例だ。
俺の命令に従わないのも彼だけ。俺はずっとそれを黙認してきた。
彼は、俺の不利益になるようなことは絶対にしない。
その信頼が、彼を特別扱いとし、好き勝手な振る舞いを助長させていると
――耳の痛い進言も届かないわけではないけれど。

――俺にだけは行き先を告げてくれると思っていたのに。

 いつからだろう、彼が俺に何も言わなくなったのは。
 任務が完了した、とだけ短く答え、またふらりと
居なくなってしまうようになったのは。
 俺と、たわいもない馬鹿話をしたり、どつきあったりした
ことなんて日本ならば何度でもあったことなのに。
 ここイタリアに来て、ボスになって、二年。
 俺は彼の表情が変わる瞬間さえ見たことがない。

「――不安、なんだ」

 それは、ボスとして部下に言ってはならない言葉。
 俺が禁を破るのは獄寺君を信頼しているから。
 俺の弱気にだって彼は、揺るがないと。

「それは・・リボーンさんに限っては不要です」

 獄寺君は静かに答えた。
振り向いた俺を見詰める銀色の視線。

彼はいつだってただ一人に絶大の信頼を置いている。
俺がリボーンにそうしたいと願うように。
一片の曇りも無く、俺を見詰めて告げる。
 優しい、穏やかな声で。




「闇は、光を求めるように出来ているのですから」






 最初に口を割ったのは俺だった。


「遅かったね・・何、してたの?」
「お前に関係ない」
「――関係ない?」

 よく、そんなことが言えるね――そう掴みかかった
俺の手をリボーンは払い「俺に、触れるな」と言った。

「・・弁解しないの?」
「何をだ?」
「勝手に本部を抜け出したこと。命令違反、規則違反。
報告も、連絡も無し」


「俺に治外法権を与えたのはお前だろ」
「――俺にだけは、教えてくれたじゃない」

 どこに居て、何をするのか。いつ戻るのか。
深夜も早朝も関係なく響くベル。


君からの電話はどんな会議より優先した。
後ろ指を差されることになっても。

「・・心配したんだよ?」
「――いつから、そんな不要なものを学んだ?」
 見上げるリボーンの眼は、窓の外よりも深い漆黒だった。

「え?」 「部下の心配をするボスがどこにいる?」
「ここにいるよ」
「そんなことを教えたつもりは無い」
「――君は無くても・・ねぇ、リボーン。本気で言ってるの?」

 酔いに任せた冗談や、からかっているだけなら、それでいい。
いっそ、その方が安心する――そう、信じたい。

「俺はいつだって本気だ」

俺を真っ直ぐに見詰めるリボーンの眼は、見慣れているはずなのに、
眼を逸らしたくなるほど、真っ暗だった。
冷たい、凍りつくような、何の感情も灯さない闇の色だった。





 ドアをノックしたのは獄寺だった。

「・・リボーンさん、俺です」
「何だ?」
 お話したいことがあります、と獄寺が言うと
「あの馬鹿のことか」
 ため息が、ドアの向こうから伝わり獄寺は首を縦に振った。
「お察しの通りです」
 十代目はけしてそのような下劣な知性の持ち主ではありません、と付け足して。

「十代目は、寝ないで待っていました」

 貴方を、と告げた瞬間開いたドアに、獄寺は絶句した。
 部屋の中は真っ暗だった。

その中に人がいる――いや、あれは人か?

 闇と完全に同化してしまっていて、その境目すら分からない。
 それだけリボーンの気配は荒廃し、真の闇とも区別が
付かなくなってきているのだ。

獄寺は直感した。酷い殺しをしたのだ、と。

 それが敵か、味方であったのか獄寺は知らない。彼は十代目の
側近になってからずっと人を殺すのを躊躇ってきた。
甘いと言われればそうかもしれないが、人を殺した手で
十代目に触れることが彼には躊躇われた。
清らかな十代目を汚してしまう気がして、出来なかった。

武器を銃からダイナマイトに切り替えたのはその頃だ。
確実な死より、偶発的な死。
それならばまだ、この手で十代目に触れられる。
獄寺はそう、祈るように思っていた。

――リボーンさん、貴方は・・。

 十代目の――いや、ファミリーの代わりに、
ボンゴレの闇を背負うおつもりですか?

 そう問うことがどうしても出来なかった。
獄寺の膝は振るえ、呼吸困難となった喉はひゅうひゅうと
北風のような音を立てた。無念の後に死んだ者の怨念。
ファミリーが累々受け継ぐ咎が、吐き気を催すほどの
どす黒さをもって押し寄せ、部屋に充満する。

マフィアのボスが短命なのは、危機に直面するからではなく、
恩讐の念を受けやすいからだと聞いている。
死者は必ず、自分をそう至らしめたものを呪う。
それはやがて積もり、雲のようにファミリーを覆う。
逃れる術はない。身代わりを立てない限りは。

――俺は貴方を人柱にするわけには行きません。

 獄寺は一歩、闇へ足を進めた。
 戻れないことには気づいていた。
覚悟が足らなかっただけだった。





 部屋をノックするのを躊躇った。
 深夜に何の前触れも無く戻ったリボーンに、俺は
喧嘩のような物言いを吹っかけたのだ。
 謝って欲しかった。開き直ってくれても良かった。
 リボーンの答えは、どちらでもない、冷酷なものだった。
 関係ない、と彼は言った。
 詮索するな、叱責するな。お前の指図は受けない。
 心配される筋合いもない。

――確かに、そうかもしれないけれど。

 俺達の関係は、そんな薄っぺらいものだったのだろうか?
ボスとヒットマンになれば、簡単に途切れてしまうような?
 ただ、報酬で雇われるだけの?

――こんな風に、なりたかったわけじゃないのに。

 イタリアに来て、ボスになった。最初は、そうするしかないと
思っていたけれど、仲間が敵を射殺する姿を見て腹をくくった。
俺だけ、綺麗な場所にいられるわけでもない。

 リボーンは最初に「殺すな」と言った。
 お前だけは人を殺すな、と。
 何故、そう尋ねた俺に、彼が返した言葉を今でもはっきりと求めている。


――戻れなくなるから、と。


 それ以来、引き金は引いていない。汚れる仕事は全部、
敵を撃ち損じたことのない彼に任せてきた。
部下からは、贔屓だといわれたけれど、暗殺を生業とする
人間の悲哀を知らないからだと聞く耳を持たなかった。
リボーンはいつも、誰とも一線を画していた。
馴れ合いや、触れ合いを好まない孤高の存在だった。

・・もう少し、仲良くすればいいのに
――おせっかい心で告げた俺の言葉に、彼は自嘲気味に笑った。


――こちら側に来れるものなら、来てみればいいさ、と。


 リボーンがいるであろう部屋のドアをノックする。
 俺が君を理解するには、そちら側に行くしかないのだろう、と俺は思う。
 たとえそれを君が良しとしなくても。
 俺にだけはここに居て欲しいと願っていたとしても。

――君だけに罪を、着せ続けるわけにはいかないから・・



 リボーンが俺に触れなくなったのは、俺が拳銃を置いてからだ。
ボスとして事務方についた俺。
ヒットマンとして抗争の最前線にたった君。

俺達はボンゴレという車の両輪なのだ。
走り出してしまったから、もう誰にも止められない。
右の輪が汚れるのなら、左側も汚れるよ。
片側だけ平坦な地面なんて無いだろう?

 俺の勘が正しければ、君は沢山人を殺してきてる。
きっと昨晩も、拭いきれない程の罪を負って帰宅した。
見抜けないわけじゃないんだ。でもそれを知れば君は、
また俺を置いて出て行ってしまう。
鮮血に塗れた身体で一人、雨に濡れたミラノの街を彷徨う。

 それだけは絶対にさせない。させたくない。


 どこかで詩人が紡いだ言葉の意味を、今なら理解できる。


 ブラックホールが光を吸収して離さないように。



 闇は、光を求めるように出来ている。




 ドアが開く。その奥の漆黒に戸惑う。
 電灯の光も届かないこの奥に君がいる。
 触るなといいながら、俺がそこに行くのを待っている。
「・・獄寺が、来た」
 リボーンの声は低かった。
「・・獄寺君が?」
「お前が来る前にな、十分と持たなかった」
「・・こんな真っ暗な部屋にいるのは、怖いよ」
 電気を付ける。リボーンは、部屋の中央に立っていた。
「何の用だ?」
「君に会いに」
「もう済んだだろ」
「済んでないよ」
 肩に触れても、リボーンは俺の手を払わなかった。

「おかえり、リボーン」
「言いたいことはそれだけか?」
 抱きしめたリボーンの身体は、スーツ越しだったのに凍るように冷たかった。


「・・帰ってきて」
「何処に?」
「此処に」
「・・・」


 君が俺に、ただいまを言ってくれるまで。
 本当のことを、教えてくれるまで。
 その手で、抱きしめてくれるまで。
 何度でも。


 俺は君を待ち続けるよ。
部屋に電気を点けて。君を待つものが闇でなく、
眩いほどの光であるように。触れないことは優しさじゃないんだ、
君が教えてくれたはず。
ねぇ、リボーン。俺が君に甘えるように、君も俺に甘えていいから。

 一人で背負わないで。
 窓の向こうの闇に溶けてしまわないで。
 何度でも君の形を確かめるよ、触れないと分からない。
 君が闇ならば俺は光。



 光は、闇を求めるように出来ている。



END