[ 花籠 ]




 追試が終わると、ツナは教室を飛び出した。
今日の野球部の交流試合に山本が出る、と
聞いただけでテストは上の空だった。
 
 校庭には彼が登板すると必ず結成される応援団が、
ボンボンを振ってフェンスの外に群がっていた。
見たことのない制服を着ている女生徒は、
おそらく他校のファンなのだろう。

   スポーツ万能でクラスメイトからの信頼も厚く
加えて爽やかな風貌を兼ね備えた山本の
人気は、既に留まるところを知らなかった。


 ツナが、彼を一目見ようと群がる女子の間を
何とかすり抜けて部室の前に出ると
ちょうど着替えてきたらしい野球部員が
ぞろぞろと部屋から出てきた。

「ツナ!」  

 その中のひとり、野球部のエースであり
他の部活の優秀な助っ人でもある山本は
出待ちをする女子の間からツナを難なく見つけ出すと
嬉しそうに右手を振った。

それだけで黄色い悲鳴が上がり、カメラのフラッシュが瞬く。
彼の一挙一動を見守るファンは、その視線の先にいる
少年にも射る様な視線を送ったが、羨望の眼で見られることには
もうツナも慣れていた。

「悪かったな、待たせて」
「俺こそごめん。試合・・間に合わなかったね」

 いーってことよ、と山本は歯を見せて笑った。
熱狂的なファンにさえ見せないような笑顔に、彼を取材に来たらしい
報道部のカメラのフラッシュが集中する。

「じゃあ、帰るか」
 うん、とツナも微笑んだ。
 二人が言わば――付き合っている、というのは
ファンの間での暗黙の了解だったが
それでも彼のファンは減る所か益々増えた。

 ツナと一緒にいる山本は、この上なく幸せそうな顔をした。
彼がツナをとても大切にしているのは、日頃の言動を見れば
明らかだった。

 それだけ二人は、仲睦まじく学校生活を送っていた。
部活がある日は、ツナが山本の帰りを待ち
追試がある日は山本が、ツナの帰りを待った。

 授業のこと、クラスの女子のこと、昨日見たテレビのこと・・
取り留めのない話をしながら、山本はツナを家まで送り届けた。

一緒にいられることが何より嬉しくて、幸せだった。





「明日は俺、朝錬だから」
「じゃあ、後から行くね」

 自宅の玄関先で、明日の予定を確認するのも二人の日課
だった。
 学校で会おうね、と言いながらツナは何気なく郵便箱を開ける。
ツナの頭の中は山本のことでいっぱいだった。
 少なくとも、――薄暗い箱の奥に鎮座する薄茶色の
封筒を見つけるまでは。

 またなー、と笑顔で手を振り帰路に着く山本を、曲がり角まで
見送ると、ツナは慌てて箱の中の封筒を取った。

 それを見た瞬間湧き上がった、嫌な予感は的中した。

 見覚えのある字は、自分にとっては遠い親戚にあたる
人物の危急と、ある男の帰国を走り書きで告げていた。
 
 彼の行動が意味するもの・・それはツナの出迎えだった。

 心臓が壊れそうなくらい高鳴り、ツナは封筒を握り締めた。
恐怖と不安が入り混じって、どうしていいか分からない。
今すぐここから逃げ出して、何もない世界に行きたかったけれど。
彼の人物は易々と自分を探し出してしまうだろう。

 絶望と悲哀が交錯して立ち尽くすツナを見つけると、
彼は驚いた様子で話しかけた。まだ玄関にいるとは
思わなかったのだ。

「ツナ、まだいたのか?」
 空から降ってきたようなその声に、
びくりと背筋を震わせながらツナは振り向いた。
 右手で握り締めた封筒は、手のひらの中でぐしゃぐしゃに
なっていた。

「何か・・あったのか?」  

 ついさっき別れたときとは180度異なるツナの様子に
山本は心配そうに鞄を置いてツナに近づいた。

「な・・なんでもないよ」

 嘘だとわかっていたが、そういうだけで精一杯だった。
山本にはマフィアのことも、ボンゴレのことも言っていない。
 そしてこれからも・・彼にそれを言うつもりはなかった。

 声を震わせながらのツナの返事に、山本は彼を体ごと抱き寄せた。
シャツ越しに伝わる鼓動はいつもより、随分早かった。

 なぁ、ツナ・・と彼は耳元で囁いた。
涙の滲んだ響きだった。



「俺はいつまでも・・ツナにとっての お荷物なのか?」



 彼の思いがけない言葉に、ツナは息が止まりそうになった。
 そんなことない、というより強く抱きしめられ
ツナは返す言葉を飲み込んだ。



「いつになったら・・俺を信じてくれるんだよ」



 哀しみと憤りが混じった声に、ツナの両眼から
ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
 違う、信じてないわけじゃない。ただ巻き込みたくない
だけなんだ。君を危険には晒せない。命のやり取りを平気で
する世界に君を連れて行けない。


 違うよ、山本。違うんだ。


 何をどう、弁解すればいいのか分からずツナは
彼のシャツに顔を当てて泣き崩れた。
 何も説明できない時点で、彼を裏切っているのは
自明のことだった。

彼のファンの羨望の眼差しを浴びながら過ごす日々も
どうしても手を繋げなかった帰り道の影も
何もかもが眼の前で崩れていく。
 あんなに・・壊れそうなくらい――大切にしていたのに。



――俺・・本当は行きたくないよ。



 わんわんと声を上げて泣くツナの髪を撫でながら、
山本は彼を押しつぶしそうなくらい強く、抱きしめた。

 自分のもとをいずれ離れてしまう蝶ならいっそ
羽を手折って花籠に、閉じ込めてしまいたかった。