コンクリートの白い壁が延々と続いている。
どこだろう、と俺は思う。
「ツナちゃん、どこ行くの?」
鈍い衝撃が頭に走る。目の前が暗くなる。
首の上がちりちりと痛い。喉が干上がるようだ。
俺は理由を知る。逃げられないことを。
引き換えに、差し出したことを。
GAME
首筋の上の、氷嚢の冷たさで目を覚ました。
頭の後ろにたんこぶが出来ている。触ると思っていた
より大きいことに気づく。
「君が逃げようとするからだよ、ツナちゃん」
男の声に振り向いた。
「逃げようなんてしてない」
白蘭、という名前の男は俺の頭を、たんこぶを
いとおしそうに撫でた。
「早とちりしてごめんね」
「・・・」
じゃらり、と鎖の音がした。見ると、足首に鎖が
繋がれている。
「ツナちゃんのこと、信じてないわけじゃないけどね」
頬杖を付きながら男は言った。
数日前。
「君が僕に君を差し出すっていうのなら。全部諦めても
いい。ボンゴレリングもアルコバレーノも、新世界の神も。
パラレルワールドも返上する。どうかな?悪い条件じゃ無い
と思うけど」
俺は頷いた。そうするしか手段が無かったからだ。自己犠牲
なんて美しいものじゃない。それ以上に沢山のものが犠牲になった。
残されたものが生き残る道はそれしか無かった。
俺は白蘭の元に残り、それ以外はすべて元通りになった。
ユニやγの死も、山本の父親の死も無い世界。アルコバレーノ
も無事だ。世界は独裁者の脅威から逃れた。
俺はひとつだけ、彼に頼んだ。過去へ戻る仲間の記憶から
俺を消してくれないか、と。マーレリングにそんな力は
無かったけれど、正一さんの作った白い機械がそれを可能に
した。皆、俺のことも、戦いのことも忘れ、まだ何も起きて
いない過去に戻る。そして平和な人生を送る。
それが、俺の望んだ未来だった。
俺と白蘭は白くて大きな部屋で生活を始めた。
彼が用意したのだ。誰からも干渉されないように、と。
白蘭は俺に話しかけたり、たまにつっついたりしながら
楽しそうに過ごしていた。どこからお菓子を買ってきて
俺に、食べさせてくれた。
「ここでは一切のものが年を取らない」
マーレリングが作る時空の隙間だと、彼は言った。
時間が経過しないから、お腹も空かないのだ。それでも
俺は時々、ハンバーガーやジュースが無性に食べたくなった。
そうすると彼はどこからかそれらを調達してきて、俺に
差し出した。
「はい、ツナちゃん」
彼は、俺の望むものは何でも用意した。ゲームに漫画。
雑誌にアニメ。山盛りのチョコレートにカップラーメン。
どんなに食べても太らなかったし、どんなに起きていても
眠くならなかった。不思議だった。ここはどこだろう?
世界はどうなってしまったのだろう? 知る術が無かった。
この部屋には窓が無い。
俺の時間はあれから止まったままだけれど、外ではどれ
くらいの時間が経過しているのだろうか。数時間いや、数日か?
昼も夜も無いので自分がいつ起きているのかさえ分からなかった。
「外はどうなっているの?」
ある日、俺は尋ねた。ゲームにも漫画にも、白蘭の相手
にも飽きていた。
彼は俺を見つめると、両目を細めて笑った。
「見せてあげようか」
彼が手を広げると、そこが窓になった。カーテンも
付いている。カーテンを開くと――光が広がった。
懐かしい世界が、目の前にあった。
「あ・・・」
思わず俺は近づいた。よく通る帰り道。街路樹。
灰色の塀とドア。右手にあるお菓子屋と左手の蕎麦屋
さん。懐かしい・・・帰りたい。
「懐かしいでしょ、ツナちゃん」
「うん」
俺が、自分と引き換えに手放した世界。平和な。
何の脅威も無い。だれも傷つくことの無い――俺
だけが、いない。
「この窓を残しておいて上げるよ。たまにカーテンを
開けるといい」
でも、と彼は付け足した。
「窓を開けたら駄目だよ、ツナちゃん。約束を
忘れないでね」
僕は君の代わりに、世界を諦めたのだから。
それから俺は毎日、窓の外を眺めて過ごした。カーテンを
開ける度、外によく知る並盛の街が広がった。商店街に
デパート。並中のグランドにゲームセンター。何もかも
が懐かしく、こみ上げてくるものに俺は震えた。
――帰りたい。
白蘭のいない日、俺は窓に手をかけた。目の前に広がる
故郷。それは無意識だった。帰りたい、帰りたい、あの日に
帰ろう――
窓を開いて、俺は飛び出した。恋焦がれた故郷の景色が
広がっているはずだった。
踏み出して俺は、異変に気づいた。
――ここは、どこだ?
辺りは一面中焼け野原だった。燃え残ったコンクリート
の廃墟、くすぶる炎が空を夕焼けのように赤く照らしていた。
俺は前進した。見覚えのある電柱の看板に声を上げる。
ここは――燃え尽きた、並盛だ。
「あーあ、だから言ったのに」
鈍い衝撃が頭上を走る。そこから先の記憶が俺には無い。
眼を覚ますと、見慣れたコンクリートの壁が
広がった。読み散らかした漫画。電源が入ったままの
ゲーム。食べかけのスナック菓子。いつもの、俺の部屋
だった。壁は真っ白だったけれども。
「おはよう、ツナちゃん」
白蘭は笑顔だった。両手に、ハンバーガーとポテトを
抱えている。俺が食べたい、といったファーストフードだ。
「頼まれたもの、用意したよ」
「・・・俺、寝てた?」
「うん、ぐっすりね」
起き上がりながら頭をさすった。何も、出来ていなかった。
「どうしたの?」
「・・・変な夢、みた」
「どんな?」
「窓があったんだ。この部屋に。ずっと・・・並盛の景色を
見てた。そしたら我慢できなくなって・・・飛び出したんだ。
そしたら――」
全部焼け落ちてたんだ。まるで戦争でもあったみたいに。
白蘭はポテトを齧りながら「ふーん」と言った。
「面白い夢だね」
「・・・怖かった」
四方を囲むコンクリートを見上げる。外は、どうなっている
のだろう。本当に、元通りになったのだろうか? 白蘭のいない
平和な世界に、戻ったのだろうか? あれは夢? それとも――
「ねぇ・・外は、どうなっているの?」
「別に、変わりないよ。どうして?」
彼の返答に疑念が浮かぶ。俺は、問いかけずにはいられなかった。
「・・・変わらないって、いつから?」
――いつの「段階」から、変わっていないの?
白蘭は答えなかった。手付かずだったゲームが俺の後ろで
ずっと、同じフレーズを繰り返している。
ゲームオーバーです
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