[ 餌付け ]






 ボンゴレの頭領の来訪に、雲雀恭弥は特製のティーカップを
並べながら開口一番こう言った。
「だから――なんで、僕の家にくるの?」
「それは・・」
 口ごもったボンゴレはもごもごと何かをかき消した。
落ち着かない表情でぐるりと辺りを見渡す。玄関は白壁に
瓦を重ねた純和風だったのに、迎えられた部屋は薔薇の壁紙の
美しい洋室だった。シャンデリアはすべて硝子製だろう。通る
光の筋が眩しい。

「それは――何?君が僕に何か特別な思惑を抱いていると思って
いいのかな」
「あ、いえ別にっ・・そういうわけじゃ」
「冗談だよ」

 ツナが大きく首を振り、彼の言葉に安堵して肩を下ろした。
奇しくもお隣同士で旧知の仲。片やボンゴレの十代目頭領、片や
マフィアが最も恐れる男。友達というには緊張感が、仲間と呼ぶには
少し遠い――たとえば川の向こうとこちら側のような、関係。
同じ場所にいるのに、見えている景色が違うのだ。

「どうせ・・リボーンにまた何か言われたんでしょ」

 雲雀の言葉に、ツナは頬を膨らませて首を振った。図星だったが
詮索はしない。せっかく二人きりでいるのに、恋敵の話などしたくも
ない。でも――やっぱりそうか、と雲雀は思った。自分に世間話を
しにくるときはいつも、例のボディガードが絡んでいる。会えるのは
嬉しいが、また彼のもとに帰ると思うと無性に息苦しくなる。自分の思考
回路に雲雀はため息をついた。こんなことなら、おとなしくボンゴレに
入っておけばよかった。それなら理由などなくてもそばにいられる。
少なくともこうやって午後三時のお茶をたしなむくらいには。

「・・リボーンは、関係ないです」

 あ、そうと雲雀はいい、ティーカップを渡した。彼が来たときにだけ
出すアールグレイ。綱吉は熱い紅茶が飲めないから、わざと沸騰させないで
紅茶を淹れる。砂糖も多めに加える。気配りは秘密だった。


「じゃあゆっくりしていきなよ」
「あの・・雲雀さんは?」
「君がいるときはいつも暇で仕方ないけど?」
 雲雀の言葉に、ツナは曖昧に頷いた。それがいいことか悪い意味か
分からない。ただいつも何の連絡も無しにチャイムを押すのは申し訳ない
と思っている。

 甘い液体を飲み込むと、ツナは
「あの・・急に押しかけてごめんなさい」
 と言った。
「・・今ごろ謝ることでもないと思うけど」
 雲雀はツナに向かい合って座り、頬杖を付いた。目の前の細くて弱弱しい
草食動物を連想させる男は紛れもないマフィアのボスだった。でもこうして
のんびりと紅茶を飲んでいると、出会った頃の彼の面影を取り戻してふと
笑う。それに見とれている自分に気づいたとき、雲雀は自らイタリアを訪れた。
 ボンゴレの本部を探し当て、その隣に私邸を立ててしまった。スカウトは
断ったが、ツナの依頼なら何でも引き受けた。人殺しでも、探し物でも。

「ここに来ると何だかほっとするんです。俺の家を思い出すから
かもしれませんが・・」

 積み上げた石畳や、玄関の上がり框に長い廊下、ふすまで仕切られた空間。
雲雀邸は日本から材木を直接買い付けた和風建築だった。自宅などはるかに
およばない豪華な屋敷だが、廊下のひんやりした感触や障子から零れる
光を見ていると落ち着くのだ。

「・・君はこの家がすきだってこと?」
「・・はい」

 素直な返事に雲雀は少し驚いたが、ツナは気づかず表情に至福を浮かべて
マーブルクッキーを食べていた。雲雀は甘いものが苦手だがツナが好きなので
たくさん用意しておく。

「それに・・雲雀さんにも、会えますし」

 クッキーの破片を口元につけながらツナは微笑んだ。この頭領はあまり
自分の発言の意味を考えていない、と雲雀は思った。素直に餌付けされながら
会いたいというのは十分殺し文句に近いのだが、当の本人が気づかない。
 雲雀はツナの口元の破片をそっと指の腹で取ると、それをぺろりと舐めた。
甘い味がしたがその時のツナの表情はもっと甘酸っぱかった。

「ひ・・雲雀さんっ!?」
「――ごちそうさま」

 そう言うなり雲雀は立ち上がった。このまま向かい合っているとこちらの
心臓の方がおかしくなる。そして目の前の男は己の葛藤など知るよしも
ないだろう。ただそばにいたい、支えになりたいと願うことがこれまで
己にあっただろうか。分からない。少なくとも己の歴史にはない。
 それでも少し温い紅茶を美味しいですね、という笑顔を見ていると
日本にいたことも、その血を引いていることもまんざらでもないと思うのだ。
それで彼が落ち着くのだと――したら。

 雲雀は表情が緩みそうになるのを押さえてキッチンに向かった。
真っ赤になった頭領が口をぱくぱくさせている。彼が落ち着いたら
買い付けたばかりのシフォンケーキを出してあげようと、雲雀は思った。
近く、遠い存在であっても此処にいられることが幸せだった。











***











 本部に戻るとリボーンは書斎机で新聞を読んでいた。ボスの指定席に
座る理由はあてつけだ。伝言も無しにどこへ行ってきたのか、という。

「ただいま!リボーン」

 そんな彼の胸中を知る由も無く、ボスは上機嫌だった。後から出てきた
シフォンケーキがとても美味しかったのだ。売っている店を訪ねると
雲雀は今度連れて行ってあげるよ、と行った。デートの約束ともしらず
ツナは無邪気に頷いた。リボーンが知れば発狂するかもしれない。知らぬが
仏とはまさにこのことだった。

「・・随分遅かったな」
 語尾の低さにツナは、彼の機嫌を損ねていたことを思い出した。
会議での失敗――確かファミリーの名前を言い間違えたのだ。一歩
間違えば戦争を引き起こすだけにボスならば言動に注意しろと言われて
ツナは反論した。だってイタリア語って舌噛みそうなんだもん、と。

「・・ごめんね。ちょっと話し込んじゃって」

 ついつい懐かしくて中学の時の話を雲雀としてしまう。大騒ぎの
体育大会や、女装させられた文化祭、涙でイタリア行きを決意した
卒業式。それを共有できるのはやはり同じ思い出を持つ彼だからだった。
 ツナの言葉にリボーンはぷい、と横を向いた。史上最強のヒットマンが
拗ねている――が、ツナは気づかず持っていた紙袋をごそごそと漁って
中からワインのロゼを取り出した。

「それでね・・久しぶりに君とお酒でも飲もうかと思うんだけど、どう?」
「――どういう風の吹き回しだ?」

 ワイングラスを二つ用意しながらツナは答えた。お菓子で膨れた腹の
持ち主は上機嫌だった。



「イタリア語を覚えるにはね・・まず食べ物に馴染むといいんだって」



 例の男の入れ知恵か、とリボーンは舌打ちしたが、ボスの気遣いが嬉しかったので
素直にワイングラスを受け取った。グラスの底で濃縮された葡萄を揺らしながら
彼は、今日はとことん飲ませて昼間のことなんて忘れさせてやろうと思った。

 爪を隠した肉食獣に純粋培養のボスが餌付けされる前に、自分の色に染めて
しまおうと思ったのは夜が更けても機密事項だった。