本当に好きなひとに出会ったとき
ひとはどうなってしまうのだろう
寝室の窓が曇るくらいセックスをした。ミラノに来て
十日後の夜。晴れてボンゴレ十代目になったばかりだった。
リボーンが俺を抱く、その行為は経緯を辿れば自然なもの
だった。俺のボンゴレ就任前夜、彼は辞めたいと言った。
引き止めた俺にリボーンが提示した条件。
それが、俺自身だった。
――君が、そばにいてくれるなら何でもする。本当だ・・
セックスがどういうものであるか知らないと言える程
子どもでも無かった。ただ、試した事が無かっただけだ。
初めて触れたリボーンの肌は、その概観からは想像も
出来ないくらい熱かった。彼も、興奮していたのかも
しれない。
キスをして、互いの服を脱がせて――それからは
夢中だった。何処を如何したのか。不思議と身体を
繋げる嫌悪感は湧かなかったけれど。リボーンは激しく
俺をかき乱し、俺は全身全霊でそれに答えた。温かい身体
に包まれた心だけが、どこか空しかった。
――俺は、リボーンを此処に留めておきたいだけ。
これは契約だ。ボンゴレ十代目と、専属のヒットマンが
結んだ。そこに愛情が含まれない以上俺も、彼も女を抱くし、
愛人も作る。それでいいと思っていた――だから、彼が
結婚する、と聞いたときも俺はすぐ
「良かったね、結婚祝い何がいい?」
「――ワインだな」
「用意させるよ。・・奥さんは飲むの?」
リボーンは首を振った。お腹に子どもがいるんだ、と
彼は言い、服を着た。朝まで貪りあったベッドの上で。
――俺達の関係は契約なんだ・・。私情は必要ない。
彼にとって俺は、数あるクライアントの一人でしかない。
ならば、素直に祝福するべきなのだろう。俺はシャツを着ながら
結婚式で、リボーンと彼のお嫁さんに話すスピーチの内容を考えた。
おめでとう、と言った瞬間涙が止まらなくなった。
何故俺は泣いているのだろう?嬉しいから?リボーンに
幸せになって欲しいから・・?
――この契約はいつまで有効なのだろう?
俺がリボーンに必要ない、と告げれば彼はすぐにでも
この屋敷を出て行く。けれど、彼から契約解除を言い出された時は
――何て返事をすればいい?事実ボンゴレは以前の勢いを取り戻し、
守護者達と俺だけでも十分組織を動かすことが出来るだろう。
幹部会の理事には、リボーンの存在をすでに疎ましく思っている
人間もいるらしい――ファミリーにとって、必要不可欠な
存在ではない、ということだ。
――彼を欲しいのは・・俺だけだ。
いつから、必要性が私情に移り変わったのだろう?
初めて彼に触れたとき。その、成長期を思わせる胸板や
細い腕についた筋肉、俺を抱き上げて微笑む黒い瞳孔、
触れた箇所は溶けてしまうくらい熱かった――・・
「――何、泣いてるんだ」
声に振り向くと、ドアの所に腕組をした彼が立っていた。
俺がいつまでも起きてこないから様子を見に来たのだろう。
「何でもないよ」
「嘘付け」
「嘘じゃない、・・君には関係ない」
「俺が――お前の言葉を信じるとでも?」
リボーンが俺の肩を押す。今始めてしまったら
会議に間に合わなくなってしまうと言うのに――俺の
肩には彼の噛んだ跡が幾つも出来た。これから結婚する
男だと、知りながら・・俺も、止まらなくなってしまった。
――終わりにしなければ・・俺はもう。
この組織が彼を必要としないことに気づいている。
それでも彼を留めるなら、これはビジネスじゃないただの
束縛だ。愛も、甘い言葉もいらない――身体だけ欲しい、なんて。
そんな我侭で縛れるほど、安い男じゃない。彼を必要とする組織は
五万とある。こんなところで腐らせるには惜しい才能
――俺も彼を埋もれさせたくは無かった。
「何考えてる・・馬鹿ツナ」
俺の前髪をかきあげ、彼は言った。会議はとうに済んでいるだろう。
右腕も守護者達も迎えに来ないのは、彼がこの部屋にいるのを
知っているからだ――ボスの逢瀬を邪魔すれば死――
その不文律を知らぬほど素人でも無かった。
「君の、幸せを祈っているんだよ」
嘘をついた。汗ばんだ、彼の腕の中で。この細い腕のどこに、
大の大人を黙らせる力があるのだろう――重い鉄の銃身をブレ
なく標的に向けることが出来るのか。彼に抱かれながら俺は、
ふとそんな思いに耽る。それが不毛だと知りながら。
「・・お前は、幸せか?ツナ」
――俺は、今、幸せなのだろうか・・?
答えることの出来ない俺の背中にシーツをかけると、
リボーンはテキパキとシャツを身に着けながら
「午後の会合はさぼるなよ」
そう、言い放って部屋を後にした。
置いてきぼりにされた思いだけが、けだるさと共に寝室に
漂っていた。
結婚祝いのワインを買う、と街に出かけた俺に
ついてきたのは非番の雲雀さんだった。いつも俺に
ついてくる獄寺君は火薬の買出しに出かけていたのだ。
「何にするの?」
「・・ソーテルヌとトカイ、かな。トロッケンベーレン
アウスレーゼも捨てがたいけど」
フランスとハンガリー、そしてドイツの高級
ワインを見比べながら答えると雲雀さんは意外そうに
「ロマネ・コンティじゃないんだね」
「――それは・・」
リボーンが俺に、初めて飲ませてくれたワインだった。
まだあの頃はお酒の味、なんて分からなくて――酔っ払って
二日酔いを起こしてからそれが何百万とする高級ワイン
だって、知ったんだっけ・・
「・・た、たまには違ったのもいいかな・・って」
ワイングラスを揺らす俺を一瞥すると、雲雀さんは
ふぅん、とため息をついて
「・・いい加減認めたら?」
「何を?」
「好きなんでしょ、リボーンのこと」
「・・・」
意外な問いだった。思わずワイングラスを落としそうに
なった俺の右手を支えると雲雀さんは
「見てれば分かるよ。君が彼の結婚に乗り気じゃないことも、
プレゼントを選ぶ気も全く無いことも」
「・・そんな」
「彼の結婚相手、誰か知ってる?」
俺は首を振った。何故か、相手について知りたいとは
思わなかったのだ。どこかの富豪の娘だと聞いていたけれど
出身も、顔さえ見たことも無かった。
――知りたくなかったんだ。
「貿易王の娘で、君の花嫁候補の一人だった」
「え・・?」
でも、彼女はリボーンの子どもを・・
「妊娠したのは別の男の子どもだよ。それが原因で君との婚約は
破談になったんだ」
そんなことも知らなかったの――雲雀さんに問われて頷く。
――俺の元・花嫁候補をリボーンが何故娶ることになったのだろう・・?
「・・でも、彼女は君との子どもだって、認めなくてね」
「・・・え?」
やれやれ、と腕組をすると雲雀さんは続けた。
よくある手なんだよ、と。
「近づいてもいないボスの子どもを身ごもったって
本部で騒いだんだ。彼女の父親とボンゴレは懇意に
しているから、無碍に追い払うわけにもいかなかった
んだろう、その場をリボーンが納めた――君の代わりに
彼が婚約したんだ。ボンゴレの対面を保つ代わりに、ね」
「・・・雲雀さん、俺」
投げ出された銀色の物体を、受け取って車の鍵だと気づいた。
「駐車場は店を出て右、正面に停車してる車だよ」
「・・ありがとうございます」
頭を下げた俺に、雲雀さんはワインを仕舞いながら
「早く行っておいでよ、花嫁の方は俺が締め上げておくから」
「・・手荒なことはしないでください、・・お願いですから」
「あいわらず甘いね、君は」
走り出したミラノの空は、雲一つ無く晴れ渡っていた。
「速度違反だぞ、馬鹿ツナ」
慌てて戻った俺を出迎えたのは、リボーンの辛口の
採点だった。俺は彼に近づくと、その肩を掴んだ。
声が震えていたのは――真実を知ってしまったから。
「リボーン、俺・・聞いたんだ。結婚のこと・・君は」
全部伝えるまでも無いのだろう、彼は首を振った。
「――俺が決めた事だ」
お前に口を挟める問題じゃない、とリボーンに言われ
俺は首を振った。
「関係はあるよ。君は俺の身代わりになった・・本来なら
俺が片付ける――・・」
「お前が、代わりに結婚するか?」
「・・っ」
「――したいならすればいい、お前の自由だ」
此処ではお前の我侭は何でも通るからなぁ、と肩をすくめ
られ俺は叫んだ。何故だか、どうしようもなく悲しかった。
「・・そんなことじゃないよ、リボーン!」
「――落ち着け、馬鹿ツナ」
「落ち着いてられないよ・・リボーン、俺は――」
抱きしめられたのはその瞬間だった。スーツ越しにも
分かる彼の鼓動。俺を引き寄せた腕の心強さに、告げるはずの言葉を見失った。
「・・五月蝿ぇよ、馬鹿ツナ」
「・・・」
涙が溢れる。何故だか分からない。ファミリーに
降りかかる火の粉を払うのは部下の役目だ。リボーンは
俺に雇われているから、その判断は妥当なのだろう。彼
を責める筋合いは俺にはない。彼が守ろうとしてくれたのは
間違いなく俺だ――それなのに。
大変な間違いを侵していたことに、今更ながら気づく。
リボーンがファミリーを抜けたい、と話した夜、俺が彼に
告げるべき言葉。それが「必要性」じゃなくて「愛」なら。
ここに居て欲しいのはヒットマンでも家庭教師でもなく
君自身だと――もっと早く、告げていたら?
――俺達は、こんな関係にはならなかったと思うんだ。
ねぇリボーン、俺は・・・。
俺自身の本当の願いに出会うまで、十年かかってしまった。
人は、本当に好きになった人に出会ったら
どうするのだろう?
抱きしめられたまま、声の出せない俺に彼の唇が触れる。
触れたところが切なく疼いて、俺たちは抱き合ったままベッドにもつれ込んだ。
俺の唇を吸った彼が、「ロマネ・コンティの味がする」
と酔いを含んだ眼差しで、笑った。
眼が覚めた時、リボーンの姿はそこになかった。
代わりにベッドサイドに立っていた男に俺は
「・・これ、ありがとう」
借りていた車の鍵を返した。黒のランボルギーニ。
雲雀さんの愛車だ。
「・・俺、どうしていいか分かりません・・」
「――何故、それを僕に言うの?」
「・・雲雀さんなら、聞いてくれそうな気がしたから」
「愚問だね」
車の鍵を右ポケットに仕舞いながら、彼は身を翻した。
俺とリボーンがどうなろうと、どうしようと関係ない――
黒いスーツの背中がそう告げている。
「答えはもう出てると思うけど?」
音も無く、寝室のドアが仕舞った。反論も、異論も
出来ず俺は――彼の名残の香るベッドで泣き崩れた。
婚約を破棄させるのは簡単なことだ。子どもの父親
についてもDNA鑑定を依頼すればいい。俺との契約が
ある限り――リボーンは此処から離れない。でもそれは
俺の望んだ「形」じゃない――気づいてしまった。
――君に・・そばにいて欲しいんだ・・
ヒットマンでも家庭教師でもなく、勿論部下でもない。
俺だけの、そばに居て欲しい。
契約と命令で縛れるものなんて欲しくないんだ――
――どうして、こんな簡単なことにもっと早く・・
気づけなかったんだろう?
――俺・・リボーンが好き・・身体とか、肩書きじゃなくて
全部欲しいんだ・・
そして、彼を誰にも渡したくない。
「ボス失格だ、俺・・」
獄寺君が聞いたら卒倒しそうな台詞を呟きながら
立ち上がる。リボーンの結婚式はインビテーションによれば
今日の午後にも執り行われるだろう。時間は無い――俺には
覚悟が無かった。
教会はいつ訪れても人を敬虔な気持ちにさせるものだ。
着慣れないタキシードに「七五三みたい」と苦笑いする俺に
獄寺君は「よくお似合いですよ」と白い歯を見せた。
――俺がこの結婚を、破談にさせようとしてるとも
知らずに・・。
ヴァージンロードの先、十字架の前に立つリボーンは
青空に白いスーツが映え、男の俺が見てもかっこよかった。
「・・リボーン」
「遅刻だぞ、馬鹿ツナ」
リボーンは近づいた俺の手を取ると、その場にひざまずき
俺の手の甲に――キスをした。まるで、新婦に新郎がそうするように・・。
「・・リ、リボーン・・!?」
――かしずく相手を間違えてるよ?
恭しい仕草に恥ずかしくなって手を引くと、リボーンの
握る力はますます強まり
「待ってたんじゃねぇのか?」と言った。
「誰を?」
俺の返答に、獄寺君が思わず、持っていた書類を落とした。
「・・笑うな獄寺。こいつは、筋金入りの馬鹿だ」
「・・申し訳ありません、十代目」
――なんで、獄寺君もリボーンも笑っているの?
それにどうして、肝心の新婦の姿が見えないのだろう?
教会は俺と、リボーン。獄寺君の三人きりだ。ボンゴレと
貿易商の娘の結婚なら、もう少し客が集まってもいいのに・・
と俺が不思議がっていると。
「君も苦労するね、リボーン」
続いて現れた雲雀さんに、俺はある可能性を思い描いた。
――もしかして雲雀さんが先に、貿易商に片をつけに
行っちゃったかも・・!手荒なことはしないでって
お願いしたけど・・雲雀さんならやりかねないし。
「まぁな、お互いさまだ」
「・・だね」
リボーンと頷きあう雲雀さんに、俺は恐る恐る彼の
袖を引いて尋ねた。
「あ、あの雲雀さん・・この結婚の件なんだけどね・・」
「見ての通りだよ、準備万端でしょ?」
「・・し、新婦がまだ付いていないみたいだけど・・」
「目の前にいるじゃない」
「?」
雲雀さんの影に隠れる俺に、リボーンは
「いつまで引っ付いてるんだ、馬鹿」
と無理やり――俺と、雲雀さんを引き剥がした。
「痴話喧嘩なら式の後にしてね」
「十代目、おめでとうございます・・!」
「え?へ?・・な、何?」
状況の飲み込めない俺に、リボーンはため息を
落としてこう言った。
「全部、てめぇを嵌める嘘だったんだよ」
「・・・・」
――嘘・・?
「婚約も、花嫁が妊娠してるって話も全部、嘘。
君が裏を取ればすぐばれてたことなんだけどね」
君が何も疑わないから部下としては不安になったよ、と
雲雀さんが補足する。獄寺君は「申し訳ありません、十代目」と
深々と頭を下げた。リボーンだけが、俺を抱き寄せたままにやりと微笑んで。
「――部下の胸中も読めないようじゃ、勘が鈍ったな。ボス」
「・・何で・・」
――どうして、そんな嘘を・・?
何故そんな嘘をついたのか。俺をここまで迷わせたのか
――その真意が掴めず、漆黒の瞳を見上げる。
リボーンはやれやれ、と息を吐くと。
「てめぇが煮えきらねぇから、お膳立てしてやったんだろ?」
「・・お膳立て?」
「結婚しよう、馬鹿ツナ」
「・・・・」
本当に好きなひとに出会ったとき
ひとはどうなるのだろう?
永遠に共に居たいと願うものではないだろうか?
それがもし、俺だけじゃなくて。
――リボーンも同じ、だったとしたら?
真上から響く聖堂の鐘が、祝福の合図になる。
リボーンの眼差しが優しく俺を見つめる。
ドレスを着た新婦は現れない。聖堂にいるのは俺とリボーン、
そして雲雀さんと獄寺君だけ。
本当に二人きりで、結婚式をあげるつもりなの?
俺をあんなに悩ませて、困らせて――嘘を、ついてまで?
「てめぇが止めなかった時は焦ったけどな」
「なっ・・!」
――そんなことを期待していたの?
俺は殴りかかりたい気持ちと責めたい気持ちで一杯だった。
泣き出していなかったら、間違いなくそうしていたはず・・
「で、でも・・どうして・・」
リボーンのため息は何度目になるのだろう?
そこまで言わないと分からねぇのか、と舌打ちを零しつつ
「・・俺がお前の考えてることを見抜けなかったことが・・あるか?」
「・・無い」
「ねぇ、早く誓いのキスしてくれない?
仕事詰まってるんだけど」
振り向くと、黒いケープを着た雲雀さんが聖書を持って
立っている。
――雲雀さんが神父なんですか・・?
「僕じゃ不安?・・かみ殺されたいの?」
「物騒な神父だな」
――同感。
「十代目、これを・・・」
獄寺君が白い箱から取り出したのは
――ダイアモンドの光るペアリングだった。
「リボーン・・これ」
「要らないなら捨てろ」
「ううん、違う・・」
リボーンが俺の左手の薬指に指輪をはめる。
その動作を見詰めながら、俺は――
この瞬間さえ、自分にとって都合のよい夢なのでは
ないかと、疑っていた。
指輪の交換を果たしたリボーンが、微笑む。
どこか、馬鹿にしたような眼差しを俺は。
誰よりも――愛していた。
「まだ・・信じられないか・・?」
「うん・・・」
――だからお願い、信じさせて・・
近づく頬に唇を寄せ、何度も口付けを交わす。
誰に咎められても、たとえそれが罪でも。
君さえ俺のそばに居てくれれば――俺は。
青空の元で祈ったのは、幸福と云う名の永遠だった。