ボルサリーノのフェドーラ
彼がまだ、赤ん坊の姿をしていた時のこと。
ハンモックに横たわるヒットマンに尋ねた。
「帽子・・・いつからかぶっているの?」
膝の上に置いた帽子を眺めて彼は笑った。
「生まれた時から」
「嘘つき」
「礼儀だ」
死に行くもののためにな。
と、彼は言った。俺にはよく、分からなかった。
それから十年後。
殺し屋の背丈はそれなりに成長した。まだ、俺の肩くらい
までだったけれど。
「あと数年もしたら追いつく」
「赤ん坊の時から知ってる男に抜けられたくないんだけど」
俺にだってプライドはある。
リボーンは口の端を上げて笑った。黒い中折れ帽子をかぶる。
アルマーニのスーツに、ボルサリーノのフェドーラ。
それに黒のベレッタが殺し屋の三種の神器だと教えてくれた。
彼が目の前に現れた瞬間、標的は戦意を喪失するのだと言う。
それは、死神の装束なのだ。
「Tシャツにジーパンじゃだめなの?」
と、一度聞いてみたことがある。
「だからお前はダメツナなんだ」
たしなめながら、帽子を取る。右手に携えた姿さえ
隙が無く、品に満ちている。マフィアというのは暴力を
手段とする紳士なのだ――彼らには彼らの流儀がある。
血塗られていても、それは美徳だ。
「ただのチンピラと一緒にするな」
殺し屋にもプライドと、信条があるらしい。俺にとっては
どっちも、似たようなものだったけれど。だからこそ俺はまだ
――いや、永遠に「マフィア」にはなりきれないのかもしれない。
「お前もかぶるか?」
リボーンが帽子を投げてよこした。十年前は触っただけで蜂の巣に
されそうになったのに。今はすんなり持たせてくれる。ボンゴレを襲名
したことで俺も――格上げされた、らしい。
黒いフェドーラは思いのほか重かった。リボーンが唯一こだわるのは
それがイタリアの老舗帽子屋、ボルサリーノ製であること。元は貴族が
かぶっていたものを、なぜマフィアが好むようになったかは謎だが、俺の
周りでも愛好者は多い。
ちょこんと頭の上に乗せてみる。深くても見苦しいし、浅くては落ちて
しまう。鏡を見て肩を落とした。全然似合わない。学芸会に出演する子ども
みたいだ。
「いいよ・・・帽子、似合わないから」
「そうだな」
帽子をリボーンに投げ返す。フェドーラは殺し屋の魂とまで言われるが
扱いは存外乱暴だ。
「いちいち帽子取っていたら、お前じゃ間に合わない」
標的を始末すると――それがどんな小物や、とるにたらない
人物であっても――彼は必ず帽子を外して、哀悼の意を示す。
自分が手にかけたにも関わらず、だ。
生きている者に非はあっても――死んでいる者には無い。
それが、彼が俺に、示した「道理」。
彼の言葉に俺はうなづく。直接的じゃなくても。俺の一声で
何人の――どれだけのファミリーが潰れ、滅んだか。数えていて
はきりも無い。犠牲となった味方の数も。
そして俺はずっと、君のために帽子を外す日が、永遠に
来ないように祈っている。
黒い宿命を被りなおし、うら若い死神が俺を見つめて笑った。
俺が死んでも君は、きっと生きていくだろうと直感した。