[ お熱いのがお好き ]
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寿司屋「竹」の暖簾を下ろすと、ツナはちょうど沸騰した
ばかりの熱湯に四角くまとまった麺の塊を放り込み、鍋に
蓋をした。
ひと仕事終えた後の夜食は、いわゆるインスタントの食品で
済ませることが多いが、それを用意するのは寿司屋の女房の役割
だった。
――いつも美味しいお寿司握ってるのに・・こんなの美味しくない
よね。
ほぐれていく麺をかき混ぜながら、頃合を見て卵を二つ放り込んだ
ツナは、湯気を振り払うようにため息をついた。ツナとて、一通りの
料理はできるが、営業終了後疲れた身体で彼が台所にたつことを彼の
主人はやんわりと押し留めた。
『ツナだって、疲れてるんだからさ。有り合わせのものでいいよ』
そう笑った二代目「竹」の主人は、カウンターを所狭しと
駆け抜ける小さな女房に、ちょっとだけ遠慮していた。
自分のためにツナに無理をさせることだけは、させたく
なかったのだ。その気持ちはツナだってよく分かる。
――たまには、手料理食べさせてあげたいんだけどな・・
新妻の贅沢な悩み。たまには、腕を振るって愛する人に
美味しいものを食べてもらいたい。でも・・共働きの自分を
気遣って欲しくは無い。基本的に寿司屋が込むのは昼時と
午後五時以降なので、ふたりが一息つけるのは暖簾を下ろす
午後11頃が目安だった。
それから料理をしたら、確実に食べるのは
明日になってしまうし、午後四時には仕込みとネタの調達にいく
山本をいつまでも起こしておくわけにもいかなかった。
ラーメンがちょうどよい頃合にほぐれると
ツナはコンロの火を消して肩を落とした。
結局、自分が用意できるのはオレンジ色のパックに
写る簡素な味噌ラーメンだった。
「・・山本、出来たよ?」
二人分のラーメンを器に注ぐと、ツナは厨房の
奥の山本を呼んだ。寿司屋の二階で、二人で住むように
なってからも、彼らの呼び方は初めて出会ったときと
変わらなかった。
「あ、サンキュー。ツナ」
仕事着を脱いでジャージに着替えてきた若亭主は
笑顔でツナの隣に座って、出来立てのラーメンを美味しそうに
すすった。彼は、ツナのつくったものなら何でも文句ひとつ言わず
よく食べる。
一日立ちっ放しだった主人を労うように見ると、ツナは
一応・・ひとつだけ聞いてみた。ラーメンをつくりながらずっと
考えていた質問だった。
「山本はさ・・何か、食べたいものある?」
念のための質問だった。今度の定休日には彼の好物をつくって
あげたいとツナは思ったのだ。
山本は味噌ラーメンの汁までごくごくと全部飲み込むと・・
うーんと数秒考えてから
「今日はツナが食いたいかも」
と、言った。思わず箸を落としたツナが、にこにこと
笑顔を浮かべた亭主を見返すころには、彼の器の中の
麺はすっかり伸びていた。
次の日寿司屋「竹」が臨時休業になったのは、小さな奥さんが
若い二代目に頭のてっぺんから足の先まで、食べられてしまったからだった。