早く、覚めて。
[ 悪夢 ]
彼はツナの顔半分を覆う、柔らかな漆黒の布を
ゆっくりと離した。
半日ぶりの光に、眩しく細められた茶色の瞳は
既に涙の幾筋も湛えている。
「やっと・・二人きりになれましたね」
ベッドに力なく沈んだツナの髪を撫でながら、
獄寺はツナの身体を拘束していた戒めを次々に解いた。
両手の手錠とその先の鎖はベッドの足に、両足の手錠の
先には錘が括り付けられていた。最後に唾液の染み込んだ
猿轡を外すと、ツナは紅い舌を出して途切れ途切れに息を
吐いた。
戒めによって刻まれたうっ血の跡と、だらしなく開かれた
深紅の口腔――どんなに自分が彼に酷いことをしたか、それは
一目瞭然だったが、その傷つけられた獣のような姿さえ罪なほど
に美しかった。
「どうして・・こんな。獄寺君・・離して」
縛り付けられていた身体は、少し動こうとするだけでみしみしと
痛んだ。両目に零れそうな程涙を溜めたツナは、懇願と許しを請いた。
彼に一縷の良心が在ると信じて。
「お願い・・俺を帰してよ」
「貴方の帰る場所は、ここですよ」
獄寺は痛々しいほど弱ったツナを優しく起こすと、その身を自分の
膝の上に乗せた。表情を苦悶に歪めたツナは、獄寺の胸元に頭を
乗せた。背筋を伸ばしていることさえ、苦痛だった。
「ひとりぼっちにさせてすいません。でも、ずっと一緒ですからね」
彼の声はあくまでも優しい旋律に満ちていた。鎖の跡がついたツナの手を
取ると、彼は紳士のようにキスをする。
「もう何も・・貴方を煩わせるものは存在しません」
学校のテスト、忌々しいクラスメイト、唯一の血縁、そして
――二人を結びつけたひとつの組織。
もう何もかも存在しない。二人が暮らす、鍵の壊れた部屋では。
「だから安心して、俺のことだけを考えていてくださいね」
獄寺の甘い言葉に、ツナは両目を見開いた。痛んだ身体を、未来も闇に
葬り去るような戦慄が、駆け抜ける。
この部屋のドアを開けたら、あたりは何も無い焼け野原だった
なんて想像さえしたくもなかった。確かに彼は自分を手に入れるためなら
世界さえ滅ぼしかねない男だった。
火のついた爆薬を何処に向けたかなんて、聞くのも恐かった。
これは悪い夢だ、とツナは思った。眼が覚めたら、遅刻しそうよと
笑う母親が居て、のんびり朝食を食べているリボーンがいて、玄関では
獄寺君が待っていて――
「10代目は・・涙も、美味しいんですね」
これはきっといつか覚める夢なんだ。ちょっと質の悪い悪夢だけど。
だからお願い、早く覚めてよ。俺をいつもの、毎日に戻して。
――誰か・・夢だって、言って。
寄せては返す波のように、ツナは届かぬ願いを繰り返した。
自分を至上の宝のように抱きしめる、男の腕の中で。
壁も窓の外の光もすべて純白で彩られた、無音の花園の中で。
<終わり>