[ 紅い嘘 ]
たまたま居合わせた間者は、東部の中小マフィアの同期だった。
ボンゴレ十代目の密会現場に張り込んだ目的は暗殺か、
強請りのネタ探しか。
肝心のその標的さえ確かめないまま、彼はその男の利き腕を撃った。
右腕を貫通した傷から、止め処なくどす黒い朱が流れ
男は悲鳴を上げそうになるのを必死でこらえた。
死ぬときはせめて潔く、恥を晒さぬように。
それは、ヒットマンの端くれとしてのプライドかもしれなかった。
大きな静脈を貫いたため、完全に致命傷となった肩傷を見やると
彼は悠然と微笑んだ。銃を携えた死神の、聖母のような笑顔だった。
既に意識が朦朧とし始めていたその男は、彼の笑みに半ば
安堵したように口元を緩めた。
せめて殺し屋らしく、静かに最期を遂げさせてくれ。
そう言わんばかりの笑みだった。
閉じた瞳は切なく眉を寄せ、滲んだ汗はゆっくりと
死期へのカウントダウンを始めていた。
彼は、安らかな寝顔を浮かべた死にかけのスパイの額を
即座に打ち抜いた。弾丸が頭部を駆け抜けた瞬間
男の身体は跳ねるように引きつった。
脳漿と血液に塗れた顔は潰れ、その口元は悔しそうに醜く歪んだ。
放置しておけば、五分と待たずあの世に行ける推定死者だった。
男が顔面から崩れ落ちると、彼は血痕の飛び散った自分の頬を
懐から取り出したハンカチで拭った。
お気に入りの、白地に黒い斑が踊るシャツに滲む真っ赤な染みに
気づいたとき彼は初めて、正面から男を撃ったことを後悔した。
その顔も所在するグループも確かめずに
背後から打ち落とせばよかったと思った。
「あれ、ランボ珍しいね。いつもの牛柄じゃないんだ」
約束の場所に知人が現れると、彼は
「たまには、気分を変えてみたくなるんですよ」と微笑んだ。
こころも溶け上がる、甘いジェラートのような笑顔だった。
彼はそう言うと背後に隠していた薔薇の花束を、10年来の思い人に渡した。
ついさっき見繕ってもらった大輪の花束だった。
「貴方には紅が似合うと思いまして・・」
「わぁ・・ありがとう。ほんとにいい匂いだね」
薄茶色の瞳を細めた彼の情人は、嬉しそうに花束を受け取ると
赤い花弁に口元を近づけその芳香を味わった。
濃厚な蜜のような香が、胸いっぱいに充満する。
「・・今日はいつものランボじゃないみたい」
牛柄のシャツに手ぶらで現れる男の意外な手土産に
ツナは艶やかな香の束を両手で抱えながら微笑んだ。
密会を彩る彼のささやかな気遣いがとても、嬉しかった。
「貴方のためなら、何にでもなりますよ」
それが修羅でも、血の通わない漆黒の殺し屋でも。
彼はツナの言葉に微笑むと曖昧な返事で、真実を雲に巻いた。
先ほど汚した己の腕のことを、ツナに知られるつもりは微塵もなかった。
すでに殺した男の顔と名前も忘れた。
彼の脳裏に浮かぶものは目の前の恋人の
華の様な笑顔だけだった。
最愛の人の前でだけ彼は、ただ一人の人間を想う名もない非力な男になるのだ。
深緑のワイシャツは、飛び散った血痕を脱ぎ去るため
満開の紅い薔薇は、血と硝煙の香を覆い隠すため
貴方への微笑は、けして知られてはならない心の底を覗かせないため
貴方の前ではいつも、何の力も持たない弱い男でいたいから。
己の本性など、知る必要も知らせる必要もないのだ。